ぼっちオタクの気ままな日常

ぼっちな特撮オタクが気ままに語るブログです。

怒りに任せてアニゴジを語る後編その2(ネタバレあり)

どうも、ぼっちオタクです。

最初に注意を。様々な解釈を書いていますが、あくまで一個人である俺の意見になっております。
こんな意見はおかしいと思われる方も多いと思いますし、解釈が間違っているかもしれません。

ちなみに小説と本編とパンフレット以外の媒体には触れてないので、あくまで自己解釈となります。
製作者の意図と違っていたらそこはご愛嬌を。

また、視聴した方を前提に書いてある部分がありますので、わかりにくい部分も多いと思います。

何かしら不満を持たれた方がいらっしゃいましたら、どうぞお気軽にコメントなどして頂けたらと思います。

あと虚淵先生ホントごめんなさい。

それでは本編の内容に触れていきましょう。

まずは1作目「怪獣惑星」から。

冒頭、幼いハルオがゴジラから逃げる途中で何かを落とし、戻ろうとするも制止されます。何事かと見上げれば宇宙港に迫るゴジラ
両親を載せたバスがハルオの目の前でゴジラの熱線で焼かれてしまいます。(なお死んでない)

幼いハルオには何も出来ず、ただゴジラへの憎しみを募らせる・・・、というなかなかショッキングな始まり方でした。

そして現代、未開の惑星に老人だけを乗せて送り出すという厄介払いに反発し、ハルオはテロ1歩手前の行動で中止に追い込もうとします。

今度こそ自分の大切な人を守りたいというハルオの思いが痛いほど伝わりますが、当の本人から止められてしまいます。(小説を踏まえるとあの軍人さんがここまで弱っているのがすごい悲しくなります)

もうみんな疲れている。最期くらい地面の上で迎えたいと。・・・ですが、彼の願いも虚しく、宇宙船は爆発。ハルオの慟哭が宇宙に響きました。

人為的な事故の可能性が疑わしいシーンですが、見事に3章でメトフィエスさんの仕業だったことが判明しましたね。まさに外道

そしてまあ紆余曲折を経て地球に帰りゴジラに挑む訳ですが、ハルオが花を見て地球は俺達を覚えていてくれたのかと涙を流すシーンがあります。

初見時は意味がわからなかったこのシーン、三章で意味が明かされました。(詳細は後述します)

ゴジラに対し溢れ出る憎悪のまま、犠牲を払いながらもハルオはゴジラに挑みます。

この辺りのシーンでハルオの深すぎる憎しみがありありと描写されているため、花を見て泣くシーンとの印象がチグハグなんですよね。

ゴジラに挑み、勝った!三部作完!!・・・と思ったら更にでかいゴジラアースが出てくる絶望。
この辺りはいい掴みだなと感じましたね。

小型バイクでゴジラの周りを飛び回る演出なんかは特撮の戦闘機の進化版と言った感じで見てて面白かったですし、次に期待させてくれる出来でした。

あまりに強大な絶望を前に、メカゴジラはどう立ち向かうのか!誰もが期待した!!

・・・すいません、話を戻します。

とまあ、1章はハルオの「憎しみ」を描き切った作品という所感を受けました。若干暴走しがちですが、対ゴジラ作戦の立案やラストのゴジラアースの出現に迷わず撤退を決断したりと、指揮官として無能な訳ではありませんし、主人公の扱いとしては良い落とし所だったかなと。

続けて2章、「決戦機動増殖都市」

フツアの民との交流でハルオが徐々に穏やかな心を取り戻しつつ、ビルサルドとの決定的な価値観の違い、そして「人間とはなにか」を巡る物語という所感を受けました。

絶望のラストからフツアの民、特にマイナとミアナとの出会いを迎え、精神的に少しだけ落ち着いた感触を受けるハルオ。

「よくないもの」であるナノメタルを発見し、同時にギドラの存在をそれとなくメトフィエスから伝えられます。

そしてメカゴジラと共に再びゴジラに挑んだわけですが、まあ正直バトル描写は今ひとつ。正しい判断ではあるんでしょうが、作戦をそのまま規模デカくしただけって正直舐めてんのかと思いましたね。
画作りが進歩してねえ。

・・・失礼、人間ドラマらしいんでそこを見ます。

2章のキーはやはりビルサルドでしょう。
「科学」、いや文明と合理主義が行き着く果てを体現した存在。小説ではそれを自嘲するかのような発言もありましたが、結局彼らの考えは最後まで変わることがありませんでした。

「怪獣を倒すためには人間を捨てるしかない」

この考えをどうしても容認出来なかったハルオ。最後の最後でメカゴジラを破壊し、ナノメタルとビルサルドを止める事を選択しました。

しかしその結果としてゴジラにまたも敗北し、少しビルサルドの主張に傾いていたヒロインも失う事になってしまいます。

ちなみにゴジラが熱を帯びる演出は、1章のラストのどんでん返しに比べると興ざめでしたね。

全体的にはまあ微妙と言った感じでしょうか。

ではラストの三章。

ギドラがどうなるかが不安で不安でしょうがなかった事に終始していた気もしますが、やっぱ戦闘描写は下手だなと感じましたね。ギドラ終始噛み付いてただけじゃんホントあれで面白いと思ったのか。

せめてゴジラとギドラの熱戦対決位やろうと思わなかったのか甚だ疑問です。

・・・まずは冒頭から序盤。エクシフの教義に染まる人類と、ハルオの安息の2つが並行して進み、最終的にギドラ召喚までが描かれました。

メトフィエス曰く、人類には想像もつかないほど科学が進歩して、計算による論理的帰結で神がいると確信したとの談ですが、まあアホですよね。

あーだこーだ抜かした所で、怪獣に隷属し星を供物として捧げるとか正気の沙汰ではありません。

馬鹿と天才は紙一重とはよく言うもので、自分達が狂っていることに本気で気がついていない様は哀れにも見えました。

駄目押しは小説での人間達の行動と一緒でホントに笑いました。「ゴジラ教」の名の元に核で自ら命を絶っていった愚かな人間達と。

いえ、人を巻き込む分人間よりタチが悪いですね。

「来たれギドラよ!我らに栄えある終焉を!!」

こう信者達が連呼する様はただただ恐ろしいカルト教団の狂信者の姿でしかありませんでした。宗教の暴走マジ怖い。

当然のようにギドラに喰われましたしね。
ここら辺の影でギドラの捕食を表現する演出は秀逸だと感じました。

ただ、ハルオの夢のミアナのスープは趣味が悪いと思います。自重しろ虚淵ィw

いよいよギドラ襲来ですが、先にハルオについて。

フツアの民、というかマイナ(姉)とミアナ(妹)との交流を通じて、ハルオには変化が訪れていました。

ミアナには2章で純粋な興味と友愛を、マイナに死に急いでいると心配され、愛情を向けられ、花を、春を見せられた。

こういった言い方はあれですが、人間らしくなっていった感じがしましたね。ゴジラへの憎しみしかなかった復讐鬼が無垢なる者と出会い、交流し、段々と元来の優しさや人間らしさを取り戻していった。

その結果として2章のラストがあり、後述の3章のラストがあったんだなと。

さて、アラトラム号にギドラが襲来するシーンですがまあ怖かったですね。説明セリフの多さはここに関してはパニック感が出ててむしろ大歓迎。

閉塞環境に遅い来る怪物。逃れられぬ恐怖と、襲い来る絶望。実体が謎なギドラの不気味さも相まって幼少期に見たスペースビーストを思い起こさせる素晴らしい演出でしたね。
このシーンは手放しで最高と言えました。

銀河規模のスケールのギドラと、過去最大級の巨躯を誇るゴジラ

その決戦は、意外と地味だった。

熱戦が弾かれ、ギドラに噛み付かれるゴジラ。バリア無効はひどい。ついでにゴジラから干渉できないって反則にも程があるぞ。

まあ実体のないエネルギー生命体という設定は活かされていたんじゃないかなと。ただまあメトフィエスの目からこちらの宇宙を観測する事で干渉してきている別次元の存在・・・設定が分かりづらいw
(要はメトフィエスの目潰せばこちらの攻撃が通る)

エクシフがギドラに認められているのも薄ら寒い恐怖でしたし・・・。

切り札の熱伝導(?)も吸収され、ギドラに浮かばされるゴジラ。この辺はギドラの重力光線オマージュなのかなとも思ったり。

まあ画面は退屈ですが。

ゴジラとギドラの対決と並行して、ハルオとメトフィエスも対峙します。初期案では殴り合う案もあったらしいですが、まあ主張のぶつかり合いの方が説得力はあったのでこの形で良かったと思います。

メトフィエスはハルオにエクシフが有史以前から人類に介入していた事を伝え、全ては自分の手の平の上だった事を語ります。

この時人類の愚かな行為の幻影として原爆などが映し出される中、その1つに方程式がありました。
初見意味がわからなかったんですけど、あれアインシュタイン一般相対性理論の方程式なんですね。
(パンフレット読んだけどよくわかってないんで間違っているかも)

そっちの方面には疎いのですが、人類の叡智の一つであるこの式を持ってくるのは中々皮肉が効いてるなと。重力やブラックホールがキーワードとなるギドラにも不思議とマッチしていますし。

まあ実は全てエクシフの手の平の上だったとか言い出した時は冷めましたけどね。SFでありがちな設定ですし、何より自作自演にも程があるだろうと。

そこまでして達成したい目的がハルオのゴジラへの憎しみをギドラへの生贄にする事って回りくどいにも程があるぞこの狂人。

なんなら怪獣が跋扈してた小説の頃にギドラ呼んだ方がよっぽどいい餌場だったでしょ。設定がスペースビーストの二番煎じ以下なんだよ。

すいません話戻します。

メトフィエスに散っていった者たちの幻影や人類の愚かさを見せつけられたハルオ。そして両親がゴジラに殺された(と思ってる)瞬間も。

この辺りの洗脳描写は趣味悪いなーとも思いつつ効果的でいいシーンだったなと。

ですがハルオは自分の原点を思い出します。それは自分の名前。怪獣との戦いで失われた春を、子供達には見せてあげたいという両親の願い。
自分はこれを覚えていたからこそ、あの時花のペンダントを拾おうとしたのだと。そして1章と3章で花、いえ春が地球に訪れたのを見て涙したのだと。


ここは小説のラスト思い出してだいぶ琴線にきました。両親が最期の戦いで怪獣共生派に繋いだ希望がフツアの民という形で実を結び、数万年を超えてハルオに繋がった。

感動的ですね。無意味とは言わせません。

自分の原点を思い出したハルオはメトフィエスとギドラを拒絶し、メトフィエスの目を潰します。

・・・ここ、回想シーンで幼いハルオに目をかけるメトフィエスのイメージが写った辺り、彼にとってメトフィエスは第2の親みたいな大事な存在なんだろうなと。

そんな存在を拒絶するハルオの辛さは想像すらできません。

とまあ、ギドラに干渉できるようになったゴジラのチャージ熱戦でギドラも倒され大勝利!
(流石にここ呆気なさすぎない?)

両目を失ったメトフィエス。ハルオの熱い感情が羨ましかったという本心の吐露と、ギドラの神官として最後の呪いを残して静かにその命を終えました。

そしてその最期にハルオは涙し、手を取り、その骸を抱きしめました。

・・・何だかんだ言って、このふたりは親子みたいなものだったのだと思います。このふたりの関係が、エクシフのいう計算に従って出来たものだけとは思えません。そこには確かに情愛があった。

メトフィエスも結局、人の子だったと思うのです。

そして物語は以前酷評したラストに向かうわけですが、その前にフツアの民に受け入れられた人類とハルオとマイナが結ばれたことを示すシーンが入りました。

急に挿入歌が流れ出したのでもうエンディング?と時計を確認したのは内緒。

正直マイナとハルオが結ばれたのは割と唐突だった感はありますが。

そしてミアナ(ですよね?)に春を見せられたハルオばある行動を決意するわけですが、正直ここらへん気に入りません。

というのもマーティン博士がヴァルチャーを復旧した事をほかの人間達は喜んでるんですよ。これで原始生活とおさらばできると。

その最後の希望を彼は独断でゴジラという破壊神に破壊させた。自らの命ごと。

いやホント他の人にとっては何やってんねんあいつですよマジで。むざむざ科学捨てるとか正気の沙汰じゃねえと。

虚淵脚本だなぁというか、綺麗なラストに見えるんだけど、実際は独善と全てを一人の英雄に背負わせただけの話というパターン多いですよね。

鎧武とかまどマギとか。

この後ヴァルチャーが「わるいもの」の象徴、もしくは英雄の依代みたいな扱いとなり、それを祀るフツアの民達と、年老いたミアナ(マイナ?ここだけはわからん)がそれを見守るラストを迎えるわけですが、みんな思うことはひとつだと思うんですよ。

あれ、ゴジラ放置?

そう、エンディングにゴジラ出ないんですよ。せめて咆哮のひとつもあげるくらいしてもいいんじゃないですかね?この三部作のタイトル覚えてます?

全部ゴジラついてるよ?というかごめんなさい三部作全部に対して思ってたこと我慢しきれないからもう言うよ。

・・・とにかく、ゴジラの扱いが雑!

怪獣は、少なくともその作品のタイトルを冠する怪獣は舞台装置じゃねえんだよ!!

主役じゃないにしてもその作品の「顔」なんだよ!

それを怪獣プロレスじゃないから~だの言い訳してんじゃねえ黙ってメカゴジラ戦わせろや!!

つーかこれは個人の好みだけども怪獣の動きが全体的にノロいんだよ!そりゃサイズ的にしょうがないのかもしれんけど欠伸が出る!!

そのせいで戦闘シーンが致命的につまらんのじゃ無能共が!!

なんでアニメでしかできないことをしない!!

多連装ミサイルぶっ放すメカゴジラとかそれを尻尾の衝撃波で迎撃するゴジラとか見たくないのか!?超巨大なギドラに共闘するモスラとかゴジラとか、そこでいぶし銀の働きをする最後のヴァルチャーとか、どーせ見たくないよな知ってるよ怪獣好きじゃないんでしょ監督!!

もう1回言うけど怪獣をタイトルに据える以上活躍させるのは当たり前だろうが!!うだうだうだうだゴジラでやらずにオリジナルでやれとしか言えんわアホ共!!

最初にゴジラアースを見たあのドキドキとワクワクを返せこの戦犯共が!!

・・・はぁ、はぁ。(ホントに動悸がしてます)

あー、ハルオの特攻の話でしたね。

まあ僕個人の心情というか、ポリシーみたいなものなんですが、基本主人公には幸せになって欲しいんですよ。だからほかの人より素直に受け止められてない部分もあるとは思います。

ちゃんと解釈すると、科学と宗教の暴走、そして彼の両親が繋いだ(勿論本人は知る由もありませんが)フツアの民に自分を形成する大きな要素である「憎しみ」が無いことを知り、その上でフツアの民達や自分の子供の未来の為に、最後の科学の遺産であるヴァルチャーごとそれを消し去る事で人間の負の歴史にピリオドを打つ・・・っていう行動自体は理解出来ます。

変に文明再興するとゴジラ襲って来るかもですし。

奇しくも、最後に残った兵器と共にゴジラに挑んだハルオの両親とどこか重なる行動でした。

恐らく生き残っていた人間達の中で最もゴジラに対して強い憎しみを抱いていたハルオ。

その事はギドラへの供物に選ばれたことが証明していますし、勿論メトフィエスがそう仕向けた部分も相まった結果だとは思いますが。

その事は恐らく博士含め全員が理解していたでしょうし、その彼がした行動の意味を理解できないほど愚かではないのでしょう。

エンディングで未来のフツアの民達の姿を見せることで、その部分はあえて語らないという演出であることは容易に想像できます。

ただ、やはり釈然としないというか、なんかみんなやることが極端なんですよ。

ビルサルドはナノメタルに自ら取り込まれるし、エクシフはギドラに星を捧げるとか意味不明なことしてるし、ハルオは特攻して死んじゃうし。

それは違うだろというか、正直この物語自体あんまり好きじゃないんですよ。

上位存在たる絶対的な神、「怪獣」の存在を描くことによって、人間の文明は愚かだと断じる。
そんな態度は傲慢にも程がある。

1章のハルオ達も、地球を、そして人としての誇りを取り戻すために戦っていたはずです。

全ての命は常に進化する。だがフツアの民は恐らく数万年の時を変わらずに生きてきた。モスラという怪獣の力を借りて。

変わらず、争わず、原始時代のまま、数万年という長すぎる時を過ごしてきたのか?そしてこれからも永遠に変化せず、ゴジラへの憎しみも、同胞を奪われた過去すらも忘れてただ生き続けていくことが、正解だとでも言うつもりなのだろうか。

そんなものに、意味はあるのか?

この終幕はハッピーエンドでもなんでもない。

最後まで自分と独善を貫いた男がもたらした、何の価値もない停滞だ。

少なくとも、文明の恵みをこうして享受している俺には、そんな終わりを認められないし、絶対に認めたくはない。

最後に一言。

小説アニメ化はよ。

・・・以上、アニゴジにキレたぼっちの愚痴でした。